聖霊降臨節第10主日礼拝(2023年7月30日)説教要旨

【聖書から】 
『あなたがたはその神殿なのです』
    コリントの信徒への手紙Ⅰ 三章十七節


 本日の聖書箇所の冒頭には、「わたしは、神からいただいた恵みによって、熟練した建築家のように土台を据えました」と記されています。パウロは、神からいただいた恵みによって、土台を据えた。土台とは、なんでしょうか。コリント教会の土台、東金教会の土台。教会の基礎、土台となっているもの。それは、イエス・キリストという土台です。教会のもっとも深いところにあり、一番下から建物を支え続けてくださっています。


 コリントの教会の中で、人間的な争いなどがある。しかし、パウロが語っていることは、私たちの土台はイエス・キリストである。ゆえに、その土台が揺らぐことはない、という神様への信頼です。たしかにコリントの教会では、「わたしはパウロにつく」「わたしはアポロに」「わたしはケファに」と争いがあった。しかし、その教会の土台に、イエス・キリストがなってくださり、たしかに教会を下から支え続けていてくださっている。パウロは、イエス・キリストが支えてくださっているという信仰に立っています。そして、それは私たち一人一人をも、イエス・キリストは、私たちの人生の土台としてしっかりと立たせてくださっています。


 本日の聖書箇所の直前の三章九節には「わたしたちは神のために力を合わせて働く者であり、あなたがたは神の畑、神の建物なのです」と記されていました。さらに、十六節では、「あなたがたは、自分が神の神殿であり、神の霊が自分たちの内に住んでいることを知らないのですか。」とあります。 私たちも、神の建物、神の神殿である。そして、神様 の霊が自分たちのうちに住んでいてくださる。私たち一人ひとりが神様の建物です。しかも、その土台となってくださっているのは、神殿の隅の親石として、私たちという建物を支えてくださっているのが、イエス・キリストです。ただの土の塊であった存在に、神様が霊の息を吹き込み、生ける人間となさってくださったように、神様の霊が私たち一人一人に住んでいてくださいます。


 私たちは、もともと、私たち自身の上に、建物を建てられるような存在ではないかもしれません。砂漠のような、まったくの砂地、泥しかない沼地で、建物を建てることが不可能な存在かもしれません。砂地に家を建て、何かあるとすぐに倒れてしまう存在であった。しかし、神様は私たち一人一人に、御言葉を与え、聖霊を与え、神様は、私たちが、荒廃した砂地であることを諦めず、深く、深く、掘ってくださり、たしかな土台、岩盤に突き当たるまで、私たちの心を掘り続けてくださります。そして、信仰という土台を与え、私たちの人生の土台とイエス・キリストがなってくださり、支え続けてくださっています。


 私たちは、イエス・キリストという確かな土台の上に建てられた神様の建物、神殿です。