復活節第5主日礼拝の御言葉の伝え

『遺体を十字架から降ろして亜麻布で包み、まだだれも葬られたことのない、岩に掘った墓の中に納めた』     
                               ルカによる福音書二十三章五十三節
 

 本日の聖書箇所の冒頭には、「さて、ヨセフという議員がいた」と記されております。福音書の中で、ここで初めて登場し、またその後には登場しない人物ですが、どのような人であるかと申しますと、本日の聖書箇所には「ユダヤ人の町アリマタヤの出身で、神の国を待ち望んでいたのである。」と記されています。ヨハネ福音書では「イエスの弟子でありながら、ユダヤ人たちを恐れて、そのことを隠していた」と記されています。


 イエス・キリストが、午後三時過ぎに十字架の上で息を引き取られた。イエス・キリストの十字架での死を、アリマタヤのヨセフはどのように思ったでしょうか。
 最高法院で、勇気を出して、反対の声をあげていれば、議会の流れは変わったかもしれない、と後悔しなかったでしょうか? 「イエスの弟子でありながら、ユダヤ人たちを恐れて、そのことを隠していた」。イエス・キリストの言葉尻を捉えて捉えようとする律法学者たちの後ろで、密かに話を聞いていただけかもしれない。もっと話を聞きたかった。自分の自宅にイエス・キリストを招いて、会食の席を設けて、交わりの時を持っていればよかった。そのような後悔を、アリマタヤのヨセフは抱えていたのではないでしょうか。しかも、その後悔は、死の前には絶望的で、取り返しのつかないように思われます。


 五十四節には「その日は準備の日であり、安息日が始まろうとしていた」と記されています。墓の中に納め、埋葬は終わったように思われるかもしれませんが、実は、通常の埋葬であれば、香料と香油を遺体に塗ります。五十五節で、イエスと一緒にガリラヤから来た婦人たちが、ヨセフの後についていきますが、香料と香油を準備するのも、塗るのにも、安息日が始まり、間に合わなかった。ゆえに、五十六節で、家に帰って、香料と香油の準備を始めているのです。イエス・キリストの十字架の死が突然で、アリマタヤのヨセフや、婦人たちの埋葬が間に合わなかったということなのです。


 しかし、死に打ち勝ち、イエス・キリストは復活をされました。アリマタヤのヨセフは、その墓が空になっているという知らせを聞いたでしょう。自分のために掘り、イエス・キリストに差し出した墓が、空になっている。イエス・キリストが復活されたという知らせを聞き、アリマタヤのヨセフはどのように思ったでしょうか。また、香油を塗るということが間に合わなかった婦人たちは、どう思ったのでしょうか。


イエス・キリストの復活に触れ、死による絶望が、希望へと変えられ、永遠の命を信じて、主と共に死に、主と共に生きると確信したのではないでしょうか。私たちも復活の主と出会っています。