日時:2023年11月5日(日)10:30~
降誕前第8主日礼拝
聖書:コリントの信徒への手紙Ⅰ
10章1節~13節
み言葉の伝え:
「神は真実な方」
交読文:43
讃美歌:9番、388番、206番
新聖歌:66番
*どなたでもご参加いただけます。
降誕前第9主日(神学校日礼拝) み言葉の伝え要旨
聖書:マタイによる福音書5章38-48節
み言葉の伝え:
「敵を愛しなさい」
説教者:堀尾隆神学生
5章38-39の聖句は大変厳しい内容です。自ら抵抗せず反対側の頬を向けるなんてできません。「目には目を、歯には歯を」はハンムラビ法典に規定され、聖書にも出て来ます。聖書に書かれている規定はハンムラビ法典とは性質が違います。出エジプト記で、危害を加えた者が被害者に対して、それ相応の償いをせよとある通りです。しかし、イエスさまはこの律法に対し、「悪人に手向かってはならない」と革新的なことを言います。イエスさまは何においても「手向かわない」という姿勢を示され、地上におられた時に示された歩みそのものです。イエスさまが十字架刑に処せられる時、ポンテオ・ピラトに対して歯向かうことなく従順に、十字架につけられる最後の時まで神に従われたのです。無抵抗なだけでなく、自ら与えられました。しかし、私たちはどうでしょうか? 私たちは、イエスさまと同じことができるのでしょうか?
43-48節のみ言葉が強く迫ります。「あなたがたも聞いているとおり、『隣人を愛し、敵を憎め』と命じられている」とありますが、実にその通りだと思います。「隣人を愛する」とは自分の好のむ人を愛するということで、「敵を憎め」とは、自分が好きではない人、関係が薄い人にはそこまでしないことです。さらに、イエスさまの言葉が差し迫ってきます。自分と間柄が近い人だけを愛したところで、また、自分の家族である兄弟だけに挨拶したところでそれが何なのか?これは、神を信じ、律法に従って歩んできたユダヤ人たちに向けた言葉であるとともに、私たちにも語られる言葉です。私たち自身の罪も問われます。
48節の「・・・天の父が完全であられるように、あなたがたも完全な者となりなさい」。これは「神さまにつながりなさい、従いなさい」ということです。私たちは神の愛と恵みと祝福で満たされています。神の愛と恵みと祝福で満たされていることを思い起こし、それが「神さまにつながる」「従う」ことになり、「完全な者になる」ということなのです。それは「天の父の子」にもつながります。「敵を愛しなさい」「自分を迫害する者のために祈りなさい」は、「完全な者となる」ことの、窮極的なことです。それは、「愛する」中で最も辛く困難なことだからです。これこそ、イエスさまが実践されたことです。人々と敵を愛し続け、父なる神に従順に、しかも十字架に至るまで従われました。イエスさまこそ完全です。私たちは、イエスさまの十字架の贖いによって罪赦され、イエスさまの復活を通して永遠の命を与えてくださり、従うことができる者となったのです。不完全ながらも、常にイエスさまに倣い、悔い改めの思いを持って、神の愛の中を歩みましょう。