降誕前第9主日(神学校日礼拝)(2023年10月29日(日)10時30分~)礼拝案内

【次週礼拝案内】

日時:2023年10月29日(日)10:30~
降誕前第9主日礼拝
聖書:マタイによる福音書5章38-48節
み言葉の伝え:
「敵を愛しなさい」
交読文:41
讃美歌:7番、506番
新聖歌:205番

*どなたでもご参加いただけます。

聖霊降臨節第22主日礼拝 み言葉の伝え要旨

『わたしたちは、朽ちない冠を得るために節制するのです』 コリントの信徒への手紙Ⅰ 九章二十五節

パウロは、「私は誰に対しても自由な者ですが、すべての人の奴隷となりました」と、自由でありつつ、奴隷である、と相反する概念が共存しています。なにゆえ、そのようなことが可能なのか。それは、イエス・キリストを仰ぎ見、キリストに倣うものとなろうとしているからです。


フィリピの信徒への手紙二章六節以下にてパウロは、『キリストは、神の身分でありながら、神と等しい者であることに固執しようとは思わず、かえって自分を無にして、僕の身分になり、人間と同じ者になられました。人間の姿で現れ、へりくだって、死に至るまで、それも十字架の死に至るまで従順でした』と記されています。
イエス・キリストは、神でありながら、人となり、そして私たちの罪のために、十字架にかかってくださった。その具体的な出来事を、十字架をパウロは見上げながら、罪の奴隷であったパウロは自由を与えられ、そして、福音を宣べ伝えるために、パウロはキリストに倣う者になるのだと語っています。イエス・キリストによって、「誰に対しても自由な者でありながら、すべての人の奴隷となる」ということが可能となるのです。


九章二十四節「あなたがたは知らないのですか。競技場で走る者は皆走るけれども、賞を受けるのは一人だけです。あなたがたも賞を得るように走りなさい」と、一緒に走ろう、とコリントの教会の人々に呼びかけています。


 朽ちない冠を得るため、福音に共にあずかるためです。パウロ一人が、特定の誰か一人が、一等賞として賞を受けるということではありません。福音は、神様の恵みは、すべての人に与えられます。その福音の恵みに与るために、あなたは一等賞であるけれども、一等を目指して走りなさい、という励ましです。一位になることが確定しているのに、一位を目指して、ひたすら走りなさい、と、パウロは、「あなたがたも賞を得るために走りなさい」と私たちを励ましています。パウロのように、キリストにならう者になる。キリストを信じる者に課せられる厳しさがあります。二十四節以下で、スポーツ競技者にパウロが例えたゆえんです。
二十節には、「ユダヤ人に対しては、ユダヤ人のようになりました。ユダヤ人を得るためです」とありました。今日の世界情勢を見ても、パレスチナ自治区ガサへ侵攻しようとするイスラエル国をどのように受け止めればよいのかを考えるとき、マラソンを走り続けるような苦しさを感じます。走るのをやめたくなります。考えるのをやめたくなります。律法に支配されている人に対しては、律法に支配されている人のようになる。弱い人に対しては、弱い人のようになる。具体的な出来事として、そのような人のように実際になる。日々トレーニングをするスポーツ選手のような大変さがあります。一時的に、そうなればよいということではない。そのようにあり続けなければならない大変さがあります。


 しかし、その先にある、朽ちない冠、キリストの勝利のため、福音に共にあずかるため、一緒に走りつづけようと、パウロは私たちを励ましているのです。