2022年12月11日 待降節第3主日礼拝(降誕前第2主日礼拝)

「それならば、皇帝のものは皇帝に、神のものは神に返しなさい」
    ルカによる福音書二十章二十節~二十六節

 イエス・キリストを殺そうとする人々は、正しい人を装い「わたしたちが皇帝に税金を納めるのは、律法に適っているでしょうか、適っていないでしょうか」という罠を張った質問をします。正しい人を装う人のこの質問から罠となる部分を差しいて捉え直すと、「デナリオン銀貨を使うことは、皇帝崇拝、偶像崇拝をしているようです。私は正しい人ですから、それが心苦しいのです。どうしたらいいですか?」という質問になります。イエス・キリストは、「デナリオン銀貨を見せなさい」と言われました。


 さて、この正しい人を装う人は、どのようにしたでしょうか? もし、この質問をしたのが、本当に正しい人であったら、銀貨を見せなさいと言われて、慌てるはずです。見せなさい、と言われても、皇帝崇拝や偶像崇拝となる銀貨を持ち歩いていないし財布に入っているはずがない。さまざまな貨幣が流通しておりましたから、神殿で使うシュケル銀貨を使ってもよい。しかし、この正しい人を装う人は、その銀貨を持っているのです。自分自身は、そのデナリオン銀貨で買い物をし、また、納税をしていたということです。ですから、財布からデナリオン銀貨を取り出してイエス・キリストに見せることができる。そこに正しさがなかったといことです。


 そして、「そこには、だれの肖像と銘があるか。」という質問に「皇帝のものです」と答えている。イエス・キリストは、「それならば、皇帝のものは皇帝に、神のものは神に返しなさい」と言われます。イエス・キリストは、皇帝と神を明確に区別されている。そして、イエス・キリストは「神のものは神に返しなさい」と言われます。皇帝もまた、神のものである。これは神のもの、皇帝のもの、私のもの、と分けることができない。全てが、神様のものであるということです。


 では、私たちは、そのような中、何を神様に返すべきなのでしょうか? この世界のすべて、私たち一人一人も神のものです。私たちが神様に返すべきもの。それは、神様が日々、私たちに与えてくださっている恵みに感謝し賛美することです。そして、私たちがお互い神様のものであるとし、神様に愛された者同士として、尊重し、愛し合うことです。