2023年3月5日 受難節第2主日礼拝のみ言葉の伝え

【聖書から】2023年3月5日(日)

「あなたは立ち直ったら、兄弟たちを力づけてやりなさい」

ルカによる福音書二十二章三十二節

 本日の聖書箇所も、主の晩餐の席での出来事です。イエス・キリストが「シモン、シモン」とシモンの名前を呼び、語りかけられます。そして、イエス・キリストは「サタンはあなたがたを、小麦のようにふるいにかけることを神に願って聞き入れられた。しかし、わたしはあなたのために、信仰が無くならないように祈った。だから、あなたは立ち直ったら、兄弟たちを力づけてやりなさい」と言われます。

 それに対してシモン・ペトロは、「主よ、御一緒になら、牢に入っても死んでもよいと覚悟しております」と決死の覚悟を伝えますが、「ペトロ、言っておくが、あなたは今日、鶏が鳴くまでに、三度わたしを知らないと言うだろう」とイエス・キリストは答えられる。そして実際にペトロは、鶏がなく前に、三度、イエス・キリストとの関わりを否定します。しかも、ペトロが言うように、牢屋に入れられて、また、兵士たちから拷問などをされて、「イエスを知らない」と言ったのではありません。大祭司の家の中庭で、ある女性が、「この人も一緒にいました」と言っただけで、ペトロはとっさに「私はあの人を知らない」と言い逃れをしたのです。

 しかし、ペトロの信仰はなくなりません。三十二節で、イエス・キリストは、「しかし、わたしはあなたのために、信仰が無くならないように祈った」と言われています。主の祈りによって支えられている。

 そして、信仰が無くならないのは、信仰は誰のものであるか、ということです。ペトロが持っている自分自身の信仰なのでしょうか? それとも、ナザレの人イエス・キリストの名によって与えられた信仰なのでしょうか? 「牢に入っても死んでもよいと覚悟しております」という覚悟は、ペトロ自身のものでしょう。そして、あっさりとサタンにその覚悟はふるいにかけられます。しかし、ペトロは、イエス・キリストの祈りの通り、やがて立ち直り、兄弟たちを力づけます。

 信仰は与えられるものです。イエス・キリストに属するものです。ゆえに、サタンでも信仰を奪い去ることはできない。ふるいに何度かけたとしても、ペトロの中にあり続けるということです。サタンによっても、信仰は奪い去られることなく、私たちの中にあり続けます。

 イエス・キリストが、わたしたちに、信仰を与えてくださっています。ゆえに、私たちは立ち直ることができます。誘惑に負けても、失敗しても、挫折しても、イエス・キリストを知らないと言ってしまっても、キリストの信仰と、イエス・キリストの祈りは、私たちの中にあり続けるのです。