2022年12月4日 待降節第2主日礼拝(降誕前第3主日礼拝)

【聖書から】 

「わたしの愛する息子を送ってみよう。」 ルカによる福音書二十章九節~十九節

本日のたとえ話には、ぶどう園の主人は神様で、ぶどう園の主人の愛する息子は、イエス・キリストです。では、農夫たちとは誰のことなのでしょうか?

 この農夫たちとは誰なのでしょうか? このたとえ話の冒頭には、「ある人がぶどう園を造り」とあります。ぶどう園を造られた。ぶどう園を作り、垣を巡らし、搾り場を掘り、見張りのやぐらを立て、これらを農夫たちに貸した。全ての設備が整っている、完成したぶどう園を作った。農夫たちとはどのような人物か? 完全に備えられたぶどう園を貸し与えられた人物であるということです。そして、このぶどう園の主人は次に、農夫たちにこのぶどう園を貸して、長い旅にでます。農夫たちに、ぶどう園経営の一才が任されているということです。

 農夫たちとはどのような人物か? ぶどう園の主人から信頼されてぶどう園の一切を任され、主体性を与えられ、自分で考え、自分で判断し、自分で選択していく自由が与えられた人物、あたかもぶどう園が自分の物であるかのように振る舞うことが許されるほど、主人から信頼された人物であるということです。

 しかし、「農夫たちはこの僕を袋だたきにして、何も持たせないで追い返した」。農夫たちとはどのような人物か? 豊かに実ったぶどうの全てが自分のものであると勘違いをしてしまっている。そして、農夫たちは『これは跡取りだ。殺してしまおう。そうすれば、相続財産は我々のものになる』と言って殺してしまうのです。

 農夫たちとはどのような人物か? 完全に備えられたぶどう園を貸し与えられ、ぶどう園に関するすべてを信頼されて任せられているにも関わらず、そのことへの感謝を忘れ、ぶどう園の主人が来ないのをいいことに、一切を自分の物にしようとしています。そして、主人の愛する息子を殺してしまう。農夫たちとはそのような人物です。

 農夫たちというのは、神によって創造されたこの世界を与えられ、自由を与えられた私たち一人一人です。そして、その感謝を忘れ、神の独り子イエス・キリストを十字架につけたのも私たち一人一人です。ですが、イエス・キリストは、そのような農夫たち一人一人が、滅びの道へと進まないように、慈しみを持って、見つめられているのです。