2023年1月15日 降誕節第四主日礼拝

先週の御言葉の伝え

【聖書から】 二千二十三年一月八日(日)
「忍耐によって、あなたがたは命をかち取りなさい」    ルカによる福音書二十一章十九節


 本日の聖書箇所で、終末についてイエス・キリストが教えられています。終末というのは、この世界が終わるとき、ということです。そのようなときに、私たちは何を見つめ、何を信じて歩んでいくのでしょうか。
 九節以下には、終末の前に起こることが記されています。戦争や暴動、大きな地震、飢饉や疫病が起こると教えられている。終末の徴が全て起こっているかのような世の中です。しかし、イエス・キリストは八節で「惑わされないように気をつけなさい」と教えられます。イエス・キリストは、私たちが見つめ、信じるべきものは、この世の出来事ではなく、その人間では計ることのできない神様の救いに目を向けなさい、と教えられています。宇宙の始まりと終わりを創られ、この世界のすべての空間を超え、時間を超えて現れる神様の救いに目を向けなさいと教えられています。
本日の聖書箇所の最後で、「しかし、あなたがたの髪の毛の一本も決してなくならない。忍耐によって、あなたがたは命をかち取りなさい」と教えられています。
 聖書が教える忍耐は、今しばらく我慢していれば、苦しくても我慢していれば、やがて光が差し込むというような単純な意味ではありません。常に私たちは困難の中にいて、大地は揺れ動いている。その中にあって、神様のもとに留まり続け、現実で起きる様々なことに対し、神の下に留まり、耐えながら、その揺れの中で、どうか平和をお与えください、と祈り賛美することです。耐えるということは、この世で起きる現実を、誤魔化すことではなく、心のもっと深いところで、私たちの心の奥底で灯っているキリストの光に慰められることです。現実の悲しみや苦しみの奥底に灯っているキリストの明かりを喜びなさいということです。目の前に起こる現実が最終的な終末の出来事ではありません。神様は私たちを救おうとされています。
 一人では耐えることなどできません。イエス・キリストは、この聖書箇所で「あなた」とは言っていません。注意深く読んでみると、常に「あなたがた」と言っています。忍耐は、一人ではできない。私たちが毎週、日曜日の礼拝で、共に集って聖書の御言葉を聞いているのは、キリストと共に、そして兄弟姉妹共に耐え忍び、私たちが命を勝ち取るためなのです。